大阪歴史博物館
はじめて大阪歴史博物館に行ってきた。
ベタ褒めしてるブログ記事を以前読んだこともあって、かなり期待していったんだけど、うーん、そこまで楽しめなかったなぁ。一回行けばもういいかなという感じだ。
教養がないと、現物展示に重点を置いた博物館を楽しむのは難しいな、と思う。
音声ガイドとか借りれば、もうちょっと楽しめたんだろうか。
「共働き社会」の方が出生率を維持できる?
1960年代までの「福祉国家黄金時代」、先進国の社会保障体制は多かれ少なかれ「男性稼ぎ手」モデルを想定したものだった。ところが1970年代に入り 先進国が経済不況に直面する中、「共働き社会」化の方向に進んだ国があった。アメリカに代表される自由主義の国と、スウェーデンに代表される社会民主主義 の国である。不安定な男性雇用を女性が補うかたちでカップル形成がなされるようになったため、これらの国では相対的に出生力も高いレベルにある。
男性稼ぎ手モデルを壊して共働き社会に移行しなかった国(性別分業を維持した国)では、ほぼ例外なく深刻な少子化が進んでしまった。
一般には"女性の社会進出が進み共働きが進めば進むほど少子化が進む"と言われることがあるが、実際にはむしろ共働き社会に移行できなかったドイツや日本のような国の方が、少子化が深刻になっているそうだ。夫婦がともに家計を支えあえるような所得や保障がないと、子育てにまで手が回らなくなるということか。
一方で、今後共働き社会へと進むことで現れるであろう問題点などにも触れており、短いながら読み応えのある記事だった。
勝負慣れと、補助輪としての努力神話
世の中は不公平だという当たり前のことが、社会に出てからも理解できない人が時々いて、理不尽だと怒ったりしている。不公平を覆い隠した仮初めの世界に長くいすぎて、受け止めきれない。そもそも私たちはスタート地点が大きくずれたレースをしている。
— 為末 大 (@daijapan) 2015, 5月 30
スポーツで理不尽慣れするのは、先輩から無理を言われてそれに慣れるということだけではなく、どんなに頑張っても才能がある後輩にさらっと負けることがあるということだ。努力は報われるとは限らず、勝つのは強い方だ。その当たり前のルールの中で自分には何ができるのかを考える。
— 為末 大 (@daijapan) 2015, 5月 30
強い方が勝ち、いくら努力しても結果が出ないこともあり、適当にやっている才能がある選手が勝つこともある。勝負慣れしてない人はそこで理不尽さに憤る。慣れている人は、それを分かった上で朝起きて淡々と今日やるべきことを遂行する。
— 為末 大 (@daijapan) 2015, 5月 30
少し前、「勝負なれしていない」人にやたら恨まれたことがあって、世の中にはそういう人がいるんだなあということを肌で実感した。
勝負事に限らず、壁にぶつかるくらいのところまで何か一つのことを追求する、という経験が必要なのかな。
しかしそもそも、一つのことを追求するためには、一旦「努力すれば報われる」という神話を受け入れる必要があるのかもしれない、とは思うけどどうなんだろう。
必要悪というか、補助輪としての努力神話。
あと日本の場合は努力神話の形成に関して、「勤勉革命」あたりが大きく影響していそうなので、その辺り速水融氏の著作をあたってみようかなと思っているところ。
植民地としてのミクロネシア
ちきりんさんのこの記事、すごく興味深かった。
ここ最近、万博記念公園に隣接している国立民族学博物館へ2回行ったんだけど、展示がオセアニアから始まってることもあって、2回とも結構詳しく展示を見た。
そのこともあって、あの辺りの地域については今結構関心が高まっていたところ。
日本国内における日本統治時代や戦争に関する描写って、左右どちらかに大きく振れてしまっていているか、あるいはほとんど触れずに済ませることが多くて物足りない。その点、アメリカ視点での展示ってのは(もちろんそれはそれでバイアスがかかっているとはいえ)新鮮で、ぜひ見てみたいなと思った。
とはいえ、わざわざそのためにグアムに行くわけにもいかないしなぁ。
なんか地に足の着いた、いい本ないかな。
<ファイター>PV
時々見返したくなるPV。
ファイター購入特典のマンガもすごく好きで、時々読み返しているけど、一連の作品が
原作→曲→購入特典マンガ→PV
という順で影響しあってるのがよくわかって、すごくいい試みだったなーと思う。