Alter ipse amicus.

この世界には決して存在しない、どこかの誰かに届くように

勝負慣れと、補助輪としての努力神話

 少し前、「勝負なれしていない」人にやたら恨まれたことがあって、世の中にはそういう人がいるんだなあということを肌で実感した。

 

勝負事に限らず、壁にぶつかるくらいのところまで何か一つのことを追求する、という経験が必要なのかな。

しかしそもそも、一つのことを追求するためには、一旦「努力すれば報われる」という神話を受け入れる必要があるのかもしれない、とは思うけどどうなんだろう。

必要悪というか、補助輪としての努力神話。

 

 

あと日本の場合は努力神話の形成に関して、「勤勉革命」あたりが大きく影響していそうなので、その辺り速水融氏の著作をあたってみようかなと思っているところ。